【ロリ小説家雑談】ロリコンが合法だった時代の思い出を合法的に回顧する

雑談

というわけで……も小室Kもないんだが、いろいろ考えているうちにふと、僕は実のところロリコンではないのではないかという思考に至ったのである。JSとかJCが好きならロリコンと定義されるのだろうけど、僕の原点としては中学時代、とにかく女子のアソコが見たいという一心からスタートしておる。ということは、ほぼ同年代の少女に対する憧れであって、これはまったく健全な感情であるわけだし、現在の僕も中坊時代と同じ知能で行動しているので、つまりはロリコンではないと言うことができるのだ(どういう理屈だ)。

ここでひとつお伝えしておきたいのだが、その当時(80年代前半)にはわが国では女性のアソコを見ることができなかった。それどころかヘアも厳重に取り締まられていて、ストリーキング事件を報じた週刊新潮が発禁処分を受けるのがお約束展開となっていたほどである。「EIGA NO TOMO」のグラビアを見ていて、たまに前貼りから一本だけはみ出していることがあれば、それだけで大興奮して四、五回はオナニーできたという牧歌的な時代なのであった。

そこで、ひとつの抜け道として存在したのが〇女ヌードである。

僕がそういうジャンルの存在を知ったのは、「11PM」でやっていたK岡センセの特集番組であった。これに衝撃を受けて、次の日さっそく旭屋書店に行ってみると、なんと例のシリーズが全冊平積みされていて、立ち読みし放題なのである。ここで僕は初めて、女子のアソコというものを合法的に食い入るように鑑賞することとなった。といっても、もちろん遠景で撮ったワ〇メのみであり、そのものズバリを写したらタイーホされてしまう(実際にK岡さんは何回か引っぱられている)。

そういうのを立ち読みしている同好の士のみなさんは、だいたいがハゲとか白髪のおっさんであり、若い者は僕一人であった。

ここでさらに、ゆとり諸君にお伝えしておきたいのだが、その頃は〇女ヌードは犯罪的な扱いは全く受けてなかったばかりか、エロの対象ですらなかったのである。そもそも世間の関心自体が向いていなかったのだ。ところが、80年頃からロリコンという言葉が使われ出し、江口寿史や北条司といった人気漫画家が少年ジャンプ誌上で連発するようになって、にわかに認知されるようになったと記憶している。そして、83年頃にはロリコンブームが頂点に達し、有名雑誌などで盛んに特集が組まれるに至った。ここでもエロとか犯罪的なニュアンスはなくて、ちょっと変わったサブカルチャーという扱いだったのである。

ここで忘れてはならないのは、大手出版社とか映像会社のほとんどが、このブームに乗ってそれ系の写真集やビデオ作品を連発していたという事実である。みんな必死になって歴史から抹殺し、なかったことのようにふるまっているのだが、実際のところブームの狂乱ぶりはひどいものであった。

84年くらいになるとブームも収まり、まともな(?)専門誌も安定して出るようになって落ち着いてきたかに見えたのだが、ここでとんでもない事態が起きてしまった。突然思い出したかのように女性週刊誌が、〇女のワ〇メを写すとはけしからん!と何の脈絡もなく騒ぎ出したのである。これの発端となったのは、某出版社から出た写真集がバカ売れに売れたというニュースであった。その写真集は、例の「なめ猫」の仕掛人が、次の儲け話としてロリものを手がけたものだそうで、それに女性団体や女性評論家が食いついて、ヒステリックなキャンペーンを展開し出したのである。

その結果、出版業界ではワ〇メはご法度ということになり、急遽消しを入れることになった。その消しというのが透明な青い棒をかぶせただけのもので、よく見ると全然消えてないのである(笑)。この辺まではまだご愛嬌でなれ合いのプロレスをやっている感じがあったのだが、翌85年になると、いろいろと洒落にならない事態が起きてくるのであった。

(注・この記事は架空の小説であり、内容はすべてフィクションです)

戸田真琴 中出し後も腰振りをやめない

タイトルとURLをコピーしました